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神成横穴墓群【かんなりおうけつぼぐん】
この横穴墓群は舘ケ岡から郡山市に通じる県道木ノ崎本宮線の市境にある丘陵の南斜面に造られています。横穴古墳は自然の丘陵を利用して掘り込んだ遺体埋葬用の穴で、古墳時代後期になってから盛んに造られるようになり、群を成すのが特徴です。この
横穴墓群は、南崖面約300mに及ぶ広さ
を持つと考えられています。発掘調査の結果、玄室【げんしつ】(遺体を安置する部室)は不整な台形や長方形の平面形を持ち、天井部はアーチ型をしています。
また副室を備えたものも検出されています。副葬品【ふくそうひん】は鉄鏃【てつぞく】、釘【くぎ】、坏【つき】、大甕【おおがめ】などが発見されています。横穴
墓は市内に数ケ所確認されていますが、当時の家父長家族を背景とした地域的・政治的集団の統率者・族長クラスの共同墓地と考えられています。
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岩崎山磨崖供養塔群・志茂阿弥陀仏前供養塔群
【いわさきやままがんくようとうぐん・しもあやだぶつぜんくようとうぐん】
概要
長沼町の横田地区と木之崎地区との中間に岩崎山と呼ばれる丘陵地帯があります。
この丘陵一帯には、たくさんの供養塔が見られ、古くからこの地域が当地における霊場であったことが伺われます。
長年の風化作用により、判読できないものも数多く見受けられますが、通称「えぞ穴」と呼ばれる岩窟の奥壁には蓮華座を有する阿弥陀仏の種子と年号(弘安六季大才発末八月廿二日)、「光明真言」の梵字が彫られています。
また、山の麓には、大きな巖があり、その下には二つの窟が彫り込まれています(1号・2号供養塔)。向かって右側の窟(1号供養塔)には、大日如来の種子と「趣逆作善因、期来世之妙果、康永元年壬午五月日」の陰刻、「逆修七分全得之故也」の文字が墨書されています。
向かって左側の窟(2号供養塔)には、「亀松丸」の陰刻と、「亀松丸之 康永三年六月廿日」の文字が墨書されています。
これら供養塔の年号により岩崎山一帯が、鎌倉時代の終わりから江戸時代の終わり頃までの約600年間という長期に渡り、霊場であったことがわかります。
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和田大仏及び横穴墓群
【わだだいぶつおよびおうけつぼぐん】
この大仏は、阿武隈川西岸の丘陵岩壁に彫られた磨崖仏【まがいぶつ】で、高さ3.6mの阿弥陀如来【あみだにょらい】といわれていますが、仏像の保存状態がよくないため定かではなく、一説には大日如来【だいにちにょらい】を唱える人もいます。伝説によると、この大仏は大同【だいどう】3年(808)弘法大師【こうぼうだいし】が
諸国行脚のときに彫ったと伝えられています。また、古記によると乳不足の婦女子が大仏の乳部を削り、粉を煮立てて飲むと乳がでるようになるという信仰があったようで、
この大仏の乳部も削り取られていることから、当時の人々の生活に密接な関わりをもっていたことが伺われます。この大仏の彫られた崖面一帯には古墳時代に造られた横穴墓が数点存しています。
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舘ケ岡磨崖仏及び供養碑群
【たてがおかまがいぶつおよびくようひぐん】
この磨崖仏は、安山岩の崖面を彫って造られたもので、和田大仏と並ぶ当地方の代表的な磨崖仏です。像の高さは約2.2m、肩幅約1.2m
と和田大仏と比較してやや小柄な阿弥陀如来座像ですが、固い安山岩でできているため保存状態がよく、仏の姿がはっきりしています。目や耳の線がはっきりして、肩から膝へと流れるおおらかな外郭線は鎌倉時代の仏像の特徴をよくあらわしています。また、磨崖仏の周囲
からは供養碑と考えられる梵字や蔓陀羅の刻まれた壁面が崩れ落ちた状態で点在しており、現在も人々の信仰を集めています。
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大塚古墳【おおつかこふん】
この古墳は、現在墳丘裾部【ふんきゅうすそぶ】が削り取られているため当時の形を留めていませんが、市内に点在する古墳の中でも、大字和田地内にある蝦夷穴古墳【えぞあなこふん】と並んで大きく、直径約30m以上の円墳だったと考えられます。死者を埋葬する横穴式石室は、墳丘の南に開口し、入口(羨道部【せんどうぶ】)から石室【せきしつ】(玄室【げんしつ】)の奥壁まで約8m、石室の高さ約2mで、蝦夷穴古墳の石室とほぼ同じ規模をもっています。石材には凝灰岩を使用し、奥壁・
床・天井・側壁の一部には巨大な一枚石を使用し、そのほかの外壁などには比較的小さな割石を積み上げています。6世紀後半ごろに築造された当地域の有力な豪族の墓であったと考えられます。
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団子山古墳【だんごやまこふん】
この古墳は、阿武隈川東岸に向かって張り出した舌状台地の先端裾部を利用し、円形に整形して造られたものと考えられています。直径約40m、高さ約10mの堂々たる円墳で墳丘からは築造当時に土留めや墓域の区画、装飾などの目的で並べられていたとおもわれる円筒埴輪【えんとうはにわ】の
破片が数点発見されています。現在まで盗掘された形跡もなく、発掘調査もされていないため、保存状態は良好ですが、不明な点も多く、これを解明するための地中レーダー探査による非破壊調査を実施した際、古墳内部の石室や周溝などと思われる影像をとらえています。
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永泉寺のシダレザクラ【えいせんじのしだれざくら】
<概 要>
1.樹種 エドヒガンのシダレ
2.樹高 17メートル
3.根回り 6.0メートル
4.目通り幹廻り 3.3メートル
5.推定樹齢 300年
開花時期
4月中旬
特徴
地上3メートルのところから二股に分かれた太い枝が四方に大きく広がり、樹冠の規模は東西20メートルにも達する。
花の開花時期は、例年4月中旬頃と、長沼西部地区にある桜としては比較的早く咲く桜として知られてきます。
満開時になると、長く垂れた枝に赤みがかったピンク色の花が無数につき、地面につくほど枝が垂れ下がるさまは、まるで滝を思わせる見事な景観です。
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横田陣屋御殿桜【よこらじんやごてんざくら】
<概 要>
1.樹種 エドヒガンのシダレ
2.樹高 12メートル
3.根回り 3.5メートル
4.目通り幹廻り 3.1メートル
5.推定樹齢 300年
開花時期
4月上旬
特徴
江戸時代に横田の地を所領していた、溝口邸の邸宅内に植えられていたため、「御殿桜」と呼ばれ、館の主に寵愛された桜と伝えられています。
長沼町で一番早く咲く桜として知られており、赤みがかった濃いピンク色の花が樹全体を覆う姿は圧巻です。
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岩瀬牧場玉蜀黍貯蔵所
【いわせぼくじょうとうもろこしちょぞうしょ】
明治13年岩瀬郡鏡田村から前田川村にかけての六軒原【ろっけんばら】と呼ばれる原野一帯に、宮内省御料局直営の御開墾所が設置され、牧畜用農具及び乳牛をオランダから直輸入して欧州式大農経営が開始されました。このとき建築されたのが玉蜀黍貯蔵所で、高床式の格子壁を持つ茅葺き屋根の倉庫です。現在2棟が残っており、建物の床面積は東側の棟が33 |